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後世に残したい日本の伝統的な暮らし3

後世に残したい日本の暮らし

3月25日に開催したICCA POP UP STORE特別トークイベント。
料理研究家であり、華道家でもある、そして日本文化の伝道師としてもご高名な松本栄文先生に『後世に残したい日本の伝統的な暮らし』をテーマにお話をしていただきました。

会の雰囲気もお伝え出来るように書き起こしの形式で3回に分けてお届けいたします。

第3回 目次
茶の湯と侘び寂び
日の丸のデザイン
君が代のルーツ
一輪の花を活ける感性をもつこと

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日本の詫び寂び

 

茶の湯と侘び寂び

松本先生「この中に、茶の湯習っている方いますか?」

(数人の方が挙手)

松本先生「茶の湯には侘び寂びという言葉があります。

侘び寂びは原文に戻すと「わびしい、さびしい」。マイナス的な表現なんです。でも私たちは侘び寂びというのをマイナスの表現として捉えていないですよね。

それはなぜか。
この侘び寂びという言葉が生まれたのは応仁の乱。応仁の乱がなければ侘び寂びという言葉は生まれませんでした。

応仁の乱は500年前に起こった何十年もの間続いた内乱です。
なぜ応仁の乱と侘び寂びがつながるか。

応仁の乱までの貴族社会というのはとにかく舶来品を飾って飾って自分の趣味趣向、自分の力を誇示していた、それが貴族社会のステータスだったんです。

なので、昔の茶室というのは、とにかく中国・韓国のものを飾るということをしていました。
それらが応仁の乱でことごとく燃え尽きてしまった。その当時の将軍が足利氏政という方ですが、氏政さんは究極の美術コレクターでした。このコレクターだった氏政さんは、政治にお金を使わずコレクションにお金を使っていた人なんです。この将軍がことごとく自分の貯めたものが燃え、さらにはもう将軍を降りろということになって、最後、銀閣寺を立てて隠居された。

銀閣寺は厳かだと言うけれども、それは表面が老朽化したから。もともとはとても派手な建築物でした。総漆づくりですから。

鹿島神宮ご存知の方いらっしゃいますか?鹿島神宮も黒の社殿で天井は五色の彩色を施した八雲でとても派手な造りになっています。銀閣寺も、もともとはそれと同じだったんです。

金閣寺は勘合貿易で中国の人をもてなすために派手なのが必要だった。中国は金が好きだから金にしてもてなした。

足利氏政の時代はそのような役目がない。それでもあれだけ美術の美眼をもった人が今の銀閣のような朽ちた厳かなものを作るわけがありません。

ここ数年の学者の研究で元の風景がわかってきたわけですけれども、誰ひとりとして当時の状態に戻そうとしない。これには、そこに日本人の侘び寂びというマイナス思考の言葉をプラスにかえた要因があるからなんです。

それはなにか。氏政はあそこの中にある茶室で、当初は昔の将軍時代と同じように、着飾った空間を作りました。でも将軍を降りた瞬間に誰も訪問者が銀閣寺には来なかった。室町亭にいたときには将軍として来客がたくさん来ていましたが、銀閣寺にいった瞬間に誰も来なくなってしまった。

これが何年も続いたのを想像してみて下さい、気が狂いますよ。

人生が天から地に落ちたようなものですからね。

そんななんにもない時に本当になにもない、花もない調度品もないときに、村田珠光という茶人が銀閣寺に訪れてくださった。なにもないときなのに訪れてくれたこと、この時の嬉しさはなんとも表現しがたいほどのものだった、と記録されています。

この時に氏政が気づいたこと。それは、外に一枚ある障子の和紙に、外の一輪の枝が写し照らされた。そうすると水墨画のような絵になりますよね。

その映し出されたものがなんと美しいことか。たった一輪の何もない厳かな空間なのにも関わらず、ここに人が来てくれたことによって、この空間というのが活きるんだという境地にそのときたったわけなんです。

だから侘び寂びというのは、わびしい、さびしい。決して勝つ空間づくりではなく負ける建築物、または負ける空間づくりこそが人が来てはじめて成立する。

西洋は自分の力を見せびらかす、自分を主張する。でも日本建築はなにもない空間の中に一輪の花がある、または何もない空間にその人のためになにかお調度品を整える。

だから茶室の茶花は一日限り、活けたらすぐ翌日ダメになるような花が多いですよね。それは、その人のために活けているからです。これが日本の侘び寂びという境地の価値観なんです。

日本人の侘び寂びの心というのは決して、美化されたものではない。形があるものではないんです。己が感じる世界観の問題。お客さんが来てはじめて成立する空間というものを私たちが感じ取らないといけない。

ものがあふれた現代社会は非常にやりにくい時代でもあります。

だからこそ自分自身がそういった境地の中で何かを体験しないと悟れない境地。だからお茶事って面白いんです。

お茶をやっていると、5歳児でもお茶を習っている子もいる。茶道歴10年20年の人もいます。でも80代70代で一仕事終えてようやく茶の湯でもやろうと思った習いたての1年目2年目のおじいちゃんおばあちゃんのほうが茶の湯って上手なことが多いんです。

形の所作、一連の流れは若い人のほうがずっと博識。でも茶の湯の作法・所作の動き方って、人生を色々経験されたおじいちゃんおばあちゃんの新人にはかなわないくらい表現力がある。

侘び寂びというのは感受性で伝えるものですので、形があるものではない。ぜひともみなさんにはそういった経験を積み重ねて、自分なりの表現を見つけていただきたいと思います。」

 

日の丸というデザイン

松本先生「今日の、この空間、真っ白です。

日本には五色の色というのがあります。白、黒、赤、青、黄、この五色に関してはすべて言葉の意味があります。

白いというのは世界の中で最も恐れ多い、もっとも力強い色です。

白は真っ白、だけど異なる色が一点あってはじめて白という色が存在する。一点でも一色でも異なる色がなければただの空(くう)。

異なる色が存在して初めて白が存在する。自然界において白がどこに存在するかというと、滝や川や海。

“白い”の言葉の語源というのは、著しい(いちじるしい)からはじまります。”著しい”→”いとしろし”→”しろい”、なんです。もっとも強さをもった色なんです。

日本というのはこの無限の可能性を持った中にお天道様がひとつぽんとある。日本の日の丸というのはデザイン上もっとも尊い、もっとも力のある、もっともこれ以上ないデザインだとよく言われているんです。

ただ、戦争時代などで国旗のイメージが悪くなってはいますけれども。もともとはそういう素晴らしい意味のあるデザインなんです。」

 

君が代のルーツ

松本先生「君が代という歌があります。戦争時代に関連して歌う歌わないと色々も揉めますけれども。そもそも君が代の作曲はドイツ人です。本来の楽譜は違います。

歌詞は平安時代に作られたものです。更に言うと、その平安時代にできた歌詞の原型はどこかというと万葉集なんです。

“君が”というのは”愛する人”という意味なんですね。
”愛する人と末永く未来永劫、子々孫々にわたり私たちは共にお互いを知りながら愛し合っていこうね。”

これが君が代の歌詞の現代語訳。

世界の国家の中でこんなことを歌っている国はないですよ。どれだけロマチストなのでしょう(笑)。」

 

一輪の花を活ける感性をもつこと

松本先生「私たちは1000年以上変わることなく、このような文化の中で歩んできています。そして、応仁の乱の後、飾ることだけが美徳ではないと気づいてしまった。

まずは己自身にゆとりを持つこと。ゆとりを持たないと何に価値があるなんてわからないわけです。

ICCAさんもそうですが、ICCAのコンセプトは一輪の花を供えたくなるようなそういうような暮らしを過ごしましょうということを提案するブランドですが、

花を一輪活けたいと思う感性をみなさん自身が持っているかどうかが問題なんです。
当たり前と思うことを当たり前とするのではなく、葉っぱひとつ明日は同じではない。明後日はもっと違う。だから当たり前と思うことを当たり前と思わないことが大切なんです。

それが日本の心を知っていくきっかけになっていくと思いますので今後そういった意味でICCAさんを応援していただければと思います。

それでは今日はこれで終わりにしたいと思います。」

 

おわりに

松本先生の講演は以上になります。
この後、このトークイベントに来場してくださった武楽座 創始家元の源光士郎さんに「高砂」の舞を披露して頂き、ICCAの発展を祈願していただきました。

武楽座 創始家元源光士郎

武楽座について

創始家元 源光士郎

 

松本先生、源光士郎さん、ご来場いただいた皆様本当にありがとうございました。

 

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